![]() 突然、どうしたのだと思われるでしょうが...。 この3月、そして4月と、身辺慌ただしく、東日本大震災とはまた別に、生活リズムに大きな変化があった春でした。 そんな折りに、書家としても著名な「幽峯」氏から書をたて続けにいただいてしまいました。 仕舞っておくのも勿体ないので、壁に掛けてみたところです。(床の間がないのが何とも残念なのですが。) 小さめのお洒落な額に「和光同塵」、そして立派な掛け軸に「只在目前」の文字。 価値のよく分からない私などが見ても、なんかすごい書が部屋の空気を引き締めてくれているのを感じます。 読み方や意味など教えてもらったり、調べてみたりしましたが、う〜ん、なるほどなぁ...、深いなこれは...と、考えさせられます。 「和光同塵」に、ちょっとでも近づけるような生き方ができたら素晴らしいのでしょうね。 「只在目前」は、禅問答でもあり哲学でもあり。 こんな文字を見ていると、自然とキリッとしてくるような気がします。 勿体ないようなすごいものを頂いてしまいました。 本当に有り難いことだと感謝するばかりです。 |
![]() 和光同塵 出 典: 『老子』 自分が立派なことを隠す 仏教用語「和光同塵」および老子の言葉「淵兮似萬物之宗、挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵、湛兮似或存」から。 光を和らげる、すなわち「すぐれた才能(知恵)を隠す」の意。 賢人が自分の才智を目立たないようにして、俗世間と調子を合わせること。 「和光」は光を和らげる。才知を隠すこと。「同塵」は俗世間に歩調を合わせること。「塵」は世俗のちり。訓読では「光を和らげ塵に同ず」と読む。 クリスマスイブ。少年が、ボロを着たホームレスのおじいさんに親切にしたら、次の日、夢が叶っていた。その人は、実は神様だった。 そんなクリスマス映画があったかも...。 仏様も同じことをされるんだそうで、そのまま俗世に登場したのでは才智の輝きでみんなびっくり、ばれてしまう。だからその光を和らげて隠し、塵や埃で汚れた世間に混じって人々を救済する。 これを「和光同塵」というのだそうです。 |
只在目前必要な答えは、目の前にある 禅は、言語によるあらゆる概念構築を排し、事物をあるがままに見ようとする。 「道はどこにあるのか」の問いに、禅は「只在目前」と答える。 言語を使って、何か遠い世界のことを考える必要はない。 哲学者であるウィトゲンシュタインも、「哲学はすべてのものをまさに眼前におくだけである。 そして〔本来の〕哲学は何ものも説明せず、何ものも推論しない。 なぜならすべてのものは隠れることなく存在し、そこには説明すべきものは何もないからである」と指摘する。 禅宗祖師たちの言行をまとめた宋時代の歴史書『景徳伝灯録』の中に、 「道在何処、師曰只在目前(道は何処に在るか。師曰く、ただ目前に在り)」 という問答がある。 "只在目前"とは、「目指すべき真実の道は目前にあるので、改めて探す必要はない」、あるいは「目前にあるため探しても見つからない」という意味のようです。 |